軽井沢旅行に行ってきた

家族3人+義両親で月初に。

コロナの感染状況がやべぇ情勢なのでちょっと不安はあった(現に実家の母には反対された)けれど、実際行ってみたらどこも近所のショッピングセンターとかより人出が少なくて、快適に回ることができた。

練馬区民の常で、個人的には小中学校の宿泊行事だけで2回(小学校の移動教室と中学校のスキー教室)軽井沢を訪れたことがあり、加えて高校時代には友人らと弾丸ツアーで行ったりもしたのだけれど、軽井沢駅の周辺を回るのはよく考えたら初めての経験だった。

義両親と妻は軽井沢自体が初めてとのことで、娘に至っては義実家以外に泊まりで行くのがそもそも初。初めて尽くしの旅行となった。

初日は昼に軽井沢駅で義両親と合流、アウトレットを回って、少し離れたトンカツ屋で夕食。

カツカレーをチョイス

2日目はBon Okawaチョコレートファクトリーでお土産を買い込み、再びアウトレット内で信州そばを食べて、またお土産を買い、夕食は洋食レストランで。

昼は蕎麦
夜は洋食

3日目は昼食にパスタを食べて(写真撮り忘れた)最後にもいっちょアウトレットを回り、15時ちょうどの新幹線で東京へ。

……という具合で、車社会の軽井沢にあって徒歩圏内しか行かない(娘なんかアウトレット内のプレーパークで初日2時間弱、2日目3時間遊んでいたぐらい)きわめてコンパクトな旅になったけれど、義両親もいいリフレッシュになったようだし、何より娘がおじいちゃんおばあちゃんと一緒でずっとニコニコだったので本当に良かった。

まだまだコロナがどうなるか読めないけれど、また遠からずこんな機会を作れればと思う。

Sie lernt

娘に英会話を習わせている。

僕自身は小5から中2まで近所のカルチャーセンターで英語を習っていた。小学校の2年間はお遊び程度の内容ではあったけれど、中学からは本当に濃い時間を過ごしたし、その経験があったからこそ、これまでの人生で英語を使う必要に迫られたときに困ることがあまりなかったという自負もある。

娘にも語学で困らない人生を送ってほしいという一心で、幼稚園から始めたレッスン。けれどやっとアルファベットの読み書きに慣れてきたぐらいのタイミングで、いきなり中学レベルぐらいの構文が次々出てくるクラスに移行してしまったので、少なからず面食らっているらしい。授業中は注意が散漫になっていて、やるべきことが何もやれていない、という担任教師(ネイティブ)の話を聞いて、諸々検討した結果、もう少し本人的にやりやすい形態に変更することになった。

どういう形であれ幼少期から外国語に慣れ親しんだ経験は必ずプラスになるはずだし、新しいクラスが娘にとって楽しい場であってくれることを願ってやまない。願わくは、培った力を強みにしていけるように。

川崎0-4湘南

前半から首位を苦しめてはいた。守備は粘り強く、ミスも散見されたものの攻撃の組み立てがしっかりしていて、ギアが噛み合えば大爆発の予感がしていた。しかし、ここまでやりきれるとは。

望外の結果で、残留圏まで1差まで迫った。ただ、いい出来で満足してしまって次に繋げられなければ仕方ない。ポジティブな面はそのまま継承しつつ、今一度気を引き締めて、3連勝を目指して。再び死力を尽くそう。

Friendship

早めのおやつを済ませて娘と外出。昨日に引き続き、海外移住した友人と、今日は家族連れで会ってきた(妻は疲れもあって欠席)。

件の友人は10年あまり前に東南アジアに移住しているのだけれど、結婚から数年して授かった一人息子がうちの娘と同学年。第一言語は現地語で、ほぼ主夫状態の友人が教えているため日本語もだいたいわかるという具合で、娘とのコミュニケーションに支障はなさそうだった。一度は行ってみたかったという小学校の校庭解放から始まって、途中から公園遊びにシフトして小一時間、とにかく楽しそうに遊んでいた。

すでに海外ルーツの友達と仲良くしている娘、母親と異国の言語で会話する新しい友達もごく自然に受け入れていて、何というか恵まれた環境に育っているなあと実感。

夕食を共にして、別れ際は名残惜しそうに、でもまた来年会う約束をして嬉しそうにしていた。次回はまた目新しいことを企画できるといいな。

ピッカピカの1年生

娘が小学校に入って半月あまり。

入学前からの友達(幼稚園は違う)と約束して途中から一緒に行ったり、新しい友達もできていたり、話の端々から毎日楽しい学校生活を送っていることが伝わってくる。

娘のクラスにアジア系(中韓以外)の子がいて、これも時代なんだなあと思ったりするのだけれど、ここ数日その子と仲良くしているらしく、ニコニコと嬉しそうに話してくれる。

自分の幼少期を思い出してみると、外国人に対する差別感情こそなかったと思うけれど、物怖じというかどう接したらいいのかわからないところがあったように思う。対して娘、何のてらいもなく外国籍の友達を作っていて、コミュ力というか懐の深さというか、順調に育っているようで何よりという感じがする。

6年間、素晴らしい日々になることを願ってやまない。

入学しました

娘が小学校に。

桜も残っていたし天気も良くて、良い入学式になった。

幼稚園で仲良しだった子と違う学校なのをまだ少し引きずっているようではあるけれど、まあ時間が解決してくれるでしょう。

今日はこれから父がコロナワクチン3回目なのであまり構ってやれないけれど、気分転換にはできるだけ付き合う方向。楽しい6年間にしましょうね。

卒業しました

娘が幼稚園を。

仲良しのお友達とは3年間一緒だったこともあって強い絆ができていて、卒業式の後もみんなで集まって遊んだりしているのだけれど、一緒の園から同じ小学校に進む子は数人しかいなかったりする。まあ、人見知りなりにちゃんと処世術は身についているようなので、いよいよ始まるスクールライフにも特に不安は感じていないけれど。

ともあれ、3年間よく頑張って通いました。縁あって僕と同じ園になったけれど、楽しかったようで何よりですね。

娘のお友達、遊びに来るの巻

一昨年遊びに行った家の子と娘の仲がいい。幼稚園でもずっとべったりらしく、よく話を聞かせてくれる。お迎えに行ってもいつも仲睦まじくしていて、幼稚園児にして「親友」を自称するぐらいだったりする。

最終保育の日、名残惜しそうに園庭で遊び続ける娘と(自称)親友。各々違う小学校に通うので、こうして学び舎で一緒に遊ぶのは本当に最後になる。感慨に浸りながら見守っていたら、突然遊びの輪を抜け出してきたその子に「今日きみ(娘)ちゃんと一緒に遊びたい!」と言われた。

その後は他の子も交えて、誰が来るの来ないの、どこへ行くの行かないのと喧々囂々やり合った末、最終的に親友+その弟だけ我が家に招くということに相成った。

帰ってバタバタと片づけ→昼食を済ませ、お菓子と飲み物を買ってきたところで、ママさん含め3人、家の下に着いたとの連絡。そんなわけで、娘にとって初めてとなるお友達の来訪となった。

それから3時間弱、ロフトベッドの下で何やらひそひそ話をしたり、シルバニアファミリーをひっくり返したり、一緒にTVを観たり、それはもう楽しそうに遊んでいた。もうすぐ入れ違いで入園となる下の子はほとんど寝ていてあまり遊べなかったけれど、起きてきたところでトランスフォーマーを貸してあげたらたいそう楽しげに弄っていたので、ちょっと報われた思い(娘も姪も、全然興味を示さないもので)。

まだまだ児戯という感じではあったけれど、娘たちの遊び方には3年間の成長を感じることができた。小学校に入っても一緒に遊ぼうねと何度も言い合って、ちゃんとお片づけも頑張ってからお見送り。少し寂しそうな娘の背中も、いつの間にか少し広くなっている。これからどんな出会いが待っているのだろうか。またたくさん、楽しい思い出を積み重ねていきましょうね。

ロフトベッドがやってきた

家族の寝室に。

ニトリで娘が一目惚れして欲しがっていた、デスク+シェルフ付きのロフトベッド。10万円をちょっと超えるぐらいの価格で、決して安いものではないけれど、まあ長く使うことになるし……ということで注文したのが去年の12月頭。ようやく納品(業者による組み立て含む)となったのが今週の水曜日で、前日にいきなり電話が来たので大慌てで片づけた。

6畳の寝室のほぼ半分を占める形で、娘専用スペースが出来上がった。娘、大興奮。マットレスを買うまでベッドで寝るのは厳しいかと思っていたけれど、布団を敷いてやったら大喜びで寝ていた。

ロフトベッド設置に伴い、布団を敷く場所がなくなった父は自室で寝ることになった。まだまだ寝かしつけのお話(即興創作童話)は必要みたいだけれど、これを期に自立心も芽生えそうで何より。

明日は検診帰りにマットレスなど必要なものを見てくる方向。準備万端で、小学校もいいスタートを切れますように。

PCR検査を受けてきた

結果を先に言うと陰性だった。

とりあえず、参考というか備忘録として。

先週末あたりから喉の痛みと鼻水、時々咳の症状が出ていた。

熱はめったに出ないし、まあオミクロンとかではないだろうなと思いつつ、長引くのが少し気になったので木曜日に仕事を休んでかかりつけの内科を受診。一応受けとく?ぐらいのノリで、PCR検査の選択肢を提示された。まあ、万に一つということもあるかもしれないし、これから仕事も忙しくなるタイミングなので、不安材料は潰しておくか、ということで検査を受けることに。かかりつけ医では対応不可ということで、少し遠い別の医院を紹介された。

帰宅後、早速電話してみるもなかなか繋がらず、やっと出たと思ったら最短で当日の午後6時過ぎになると告げられた。まあ、受ける腹は決めていたので予約を取り、少しだけ仕事をしたり寝たりして過ごした。

PCR検査会場は、病院の駐車場に仮設テントを張って設えられていた。病院に着いたらまず電話(もしくは近場のスタッフに声をかける)、手渡された使い捨て手袋をはめて問診票を記入し、呼ばれたらテントに入って検査を受ける。担当スタッフは1人検査するごとに消毒して手袋を替える徹底ぶりで、会計時の金銭のやり取りも袋に入れて行っていた。検査は長めの綿棒を鼻に突っ込んで粘膜を拭う方式で、まあ痛いけど我慢できないほどではないかなという感じ。

そんなわけで、初めて行く病院だったけれど院内には一歩も立ち入ることはなく(まあ、そりゃそうかという話ではあるけれど)到着から30分もかからずに全て完了して、後は帰宅して結果を待つのみとなった。

結果の通知は翌日夜遅く(10時を回ってから)、院長自ら電話で知らせてくれた。陰性が確定したことで、イベントが目白押しになる子供の幼稚園にも影響が出なくて済んだのは良かった。

職場も再びオンラインに切り替わることになったけれど、日々気をつけて過ごすようにしたい。